私の知っている”論説書き”の男は、勇健な迫力ある文章を書いたが、彼は今から六十年前のこと、ちょうど彼が二十歳の時だが、両手にあまるほどのいろいろの良き位置を得ていながら、その椅子を次々と失っていったのだった。   それは、彼のちょっとした無分別、すぐカッとなる短気な性格、ほんの瑣細なことで傷つきやすい易感性の神経質がその位置からの堕落の原因であった。彼ほど努力して激しく働くものはほかにはなかった。そして彼が起ち上がると、また叩き倒された。そのたびごとに彼は底辺から起ち上がった。そして計画をやり直し、再び新しい足場を作って登るのだけれども、それはただ、あの『イソップ物語』にある井戸の中の蛙のように、井戸の中から這い出ようとして飛び上がるたびに滑り落ちて、上がることが出来ないのであった。
  さて、皆さん、この人がもし彼の青年時代に自分の性格の欠陥の目録を作り、その二つか三つかの弱点を矯正して正しい方向に強化することをしておいたならば、今ごろ彼は文筆界の耆宿として、崇拝される一個の巨人として立っていただろうと思われるのである。
   世間には数百千の人々が会社のただの事務員として、またはただ普通のサラリーマンとして働いている人々があるのであるが、もしこれらの人々が、その性格に何らかの不幸な弱点や生来の何らかの欠点や風変わりな癖があるのに気がついて、青年時代に多少の自己訓練、自己分析をしてそれを矯正しておくことができたならば、彼は立派な企業家や経営者となって活躍できたであろうと思われる。世間には、もしこのような小さな欠点のうちの一つがなかったら、彼が今雇われている雇主よりも、もっと有能なと思われる人が、低い従属的な地位に甘んじていることがあるのは決して珍しくはないのである。
   こういう訳で、その人は、自分の上の地位に坐っている人よりも、自分の方が能力があるのにと思いながらも、生涯をあまりパッとしない椅子に坐って、卑屈な生活をたどたどと歩いていくより仕方ないのである。
  こんな人々を見るとき、私は、素晴らしい出来栄えの陶器でありながら一点のキズがあったり、小さなヒビが入っているために、全然その価値を失ってしまっている銘品を思い起こすのである。
  またほとんど無限の価値があるほどの美術品でありながら、何かかすかな欠点があるために価値を失っている作品が随分たくさんあるのである。それはちょうど、ほんのちょっとの瑾しかなければ無限の価値があるはずのダイヤモンドのようなものである。
 
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